日本語で書く

日本語で書く

今まで、何気なく、「データなどを自然言語(つまり日本語)で表現し直す」という意味で「日本語で書く」という表現を使っていたのですが、あまり広く使われていない用法なのかもしれないということに、最近になって気が付きました。

受験生時代に、数学の証明問題を解いているとき、説明を端折って数式だけ並べたようなものを書くと、「きちんと日本語で書きなさい」などと言われたりしたのが、僕自身が「日本語で書く」という表現を使い始めたきっかけだったような気がします。その後、大学に入ってからも、実験のデータを整理したりするときに「あとは、日本語で書くだけだね」などというような表現で意思の疎通が図れていたはずです。

ところが、パーティーで内定先の他大の学生などと話しているときに、「今の研究は、もうデータは取れているから、あとは日本語で書いてやるだけだ」などと言うと、「えっ、データは英語なの?」と聞き返されることが一晩に何度もあったのです。
実際のところ、実験プログラムの出力は、文字コードなどのトラブルを避けるために英語(というかASCII文字列)出力になることが少なくないと思うのですが、仮にデータが英語であったとしても、論文として成立するような構成で出力されてくるはずはないので、相当な部分を人間が解釈した上で自然言語で書き直す必要があります。また、そもそも1つの実験だけで論文が成立することは稀なので、複数の実験をつなぐ部分や、そもそも実験の目的や考察なども、やはり人間が考えて自然言語で書いてやる必要があります。そういった作業を総合して「日本語で書く」と表現してみたわけですが、残念なことに、あまり通じなかったのです。(もちろん、通じる人もいました。)
どうも、「日本語で書く」が通じなかった人たちは、「日本語で」という部分に反応して、その逆として「英語で・・・」という方向に発想が及んでしまったようです。

そもそも、「日本語で書く」という表現自体が、どちらかというとジャーゴン的な響きがするものなので、決して一般的な表現だとは考えていなかったのですが、同じ時期に受験勉強をして理系に進んだ人たちの間では、それなりに通じる表現だと思っていたので、カルチャーショックとまでは言わないまでも、やや意外な感じがしました。

エムイチ、エムニ

もう一つ、表現のギャップを感じるものとしては、「エムイチ、エムニ」という表現です。"M1, M2"と書くと分かりやすいでしょうか。
これについては、国内の大学の理系人の間では共通の表現であると確信していますが、"M1, M2"は、それぞれ修士1年、修士2年の学生や、学年そのもののことを指します。(MはMasterから来ています。)同様に、学部生の場合はBachelorで"B1, B2, B3, B4"などと言いますし、留年すると"B5, B6・・・"となるわけです。さらに、博士課程の学生はDoctorのDを取って、"D1, D2"などと呼ばれます。*1


応用問題ですが、"M0"は何を指しているか分かりますか。
これは、大学院に進学する予定の学部4年生のことです。学部生が研究室選びをするときに、「○○研究室の定員はB4が4人、M0が3人」というような表現において、進学しない学生(B4)と対比させて使われる表現です。
ですから、「僕はM0です」と言っている学生がいれば、彼/彼女は来春は大学院に進学する予定であることが分かりますが、逆に、M0と対比されていない場面では、その人物が「B4です」と言っていたからといって、それが必ずしも進学予定がないということを意味しているわけではないので注意が必要です。

*1:尾崎豊の「15の夜」の替え歌である"D5の夜"というのがあって、理系の学生ならニヤリとせずにはいられない内容なのですが、あの"D5"というのは、ドクターの5年生を意味しているのです。